BIOGRAPHY


LIFE IS WATER期



最初の作品を一人で作り始めた時は無限に曲を作れるぞと思った。子供の時から多い人数で遊んでいるとふっと早く一人になりたいと思ってしまうような自分勝手な人間だったから一人で淡々と何かを作るのが性に合っていたのだ。けれど、いざその状態を手に入れ長い年数やるようになると少しずつ飽きてきた。次のアルバムのパーマネントヘブン(名作)で個人的にやりたい事は全部やりきったような気分になった。



THREE PEACE期



転機はソロの音源をI HATE SMOKEから出した時であった。レーベル社長のリスペクトしている大澤君(THE SENSATIONS,GIRLFRIEND)が手伝うのでバンドをやりましょうと言ってくれたのだった。先ずは大澤君がベース、パンクの塊のようなノザワ君(office voids)がドラム、私がギターの3人でやった。色々と試行錯誤を繰り返してのライブだった。不思議な音楽が鳴っていたような気がする。かなり楽しかった。が、方向が全く定まらなかったのでその後も敢えてメンバーを固めず模索を続ける。



スーパーナガイ君



スーパーナガイ君(KRITICAL HIT,THE STEADYS)とやり始めたのはそんな最中。今でも大好きなノザワ君が抜けて、少し経つ頃にドラムをやりたいと連絡をくれたのだった。ナガイ君の事をTwitterで定期的に名前を変える変態君として頭の中に記録していた。だから、実際に会い、話した時にその柔らかい物腰とのギャップに驚いた。ドラムの叩く姿が良くてこれからの可能性を大きく感じた。繊細さと謎が多いミステリアスでふざけた部分をあわせ持った感じを含めていける気がした。波に乗って勢いついてから急上昇で上手くなり、色々な界隈でモテモテになるのは後の話。



超君



次に大澤君の推薦もあり超君(SHORTSTORY,The Yesterdays,OMOHIDE-KYO)を誘った。静かに熱く穏やかな人だと思っていたのでそりゃいいと思った。早速声を掛けるが、出来る気がしないとその場で丁寧に断わられる。大澤君にだめだった事を報告して他に誰かいるかなと聞くと、うーん超君を誘いましょうと聞き慣れた名前が再度返ってきた。後日、超君を家に呼んでもう一度誘った。前菜を食べて、スープを飲んで、主食を食べて、デザートを食べ終わり、お茶を飲んでいる時に「いや〜美味しかった!一応やってみる」と言ってくれた。超君は頭がいい、この後何か不安事がある時に彼の言葉を聞いてふっとそうかと気付かされる事が多々あった。視野がかなり広い時が時々ある。後にどんどんそれを見せてくる。彼を入れようと言った大澤君には多分そんな未来が見えていたんだね。



褒め合い期



この四人で何回かライブをやる。あまり他のバンドに相手にされないがお互いがお互いを褒め合う事でバンド独自の緩やかなジャマイカ的な雰囲気が生まれる。後、ライブ終わった後に水泳の北島選手のようにそれぞれが「ライブ気持ちいい〜!楽し〜!」と言うのが定例になっていた。



ブラザー



褒め合って過ごしていたある日、実は達観していた超君から「does it floatとかでguitarを弾いている松本君(does it float,MAKES NO SENSE,Dead Ex,whiskey me)を知っている?このバンドに入ってもらわない?今ある全部の問題を解決してくれると思うのだけど」と言われる。話した事が無かったが、でかくて恐そうな人間の姿が頭に浮かんだのであった。兎に角、早く話すべきだなと思い二人を家に呼んでご飯を一緒に食べながら話す。思っていたよりずっと穏やかだったのでこれはいけると先ず思う。次に練習に入ってギターがとても上手な事が分かって、あぁ新しい事が出来そうだなと思った。入って随分してから名前をブラザーとしたがペギー以外そう呼ぶものはまだいない。なんにせよ、景色をふっと変えるギターを弾く屈強な人が仲間に入ったのであった。そして、この後超君の考えた通りになっていく。



つかの間の隙間期



ずっとBASSを弾いてくれていた大澤君が抜ける。きれいな花みたいな女の子が生まれたからであった。困った時は声掛けて貰えれば弾くと言ってくれた。心遣いが本当に嬉しかった。少しの間だったがBASSがいないながら休む事なく練習に入って音響的な曲を作ったりギター三人で小洒落たカフェでライブをしたりした。この頃、スーパーナガイ君は名言botなるものを作り自分で作った人生への答え(格言)を日夜フォロワー達に人の名を使って発信するソロ活動を行なっていた。これが秀逸なもので中々頭の切れる奴だとメンバーから密かに思われるようになった。それぞれが色々とやる中で分かった事があり先を見据えられるようになっていった。



今さん



誰をBASSに入れようかと考えて、頭に浮かんだのはDiegoで一緒にやっている今さんであった。彼女は同種があまりいない独特なメロディーを奏でる人であった。気性も安定している。しかしながら、ある側面ではチャーミングだが、ある側面では難しい人のため入ってもらうのが結構大変じゃないのかなと思っていた。本当の事を話すしか方法がないので困っているから助けて欲しいと言ったらすんなりと入ってくれた。その時に誘っておきながらとても驚いたのと、これで大丈夫だなと思ったのを覚えている。



変化期



この5人でやり出すと少しずつライブが増えていくようになった。だが、しっくりいっていないと思うことも多くなった。原因は不明だった。そんな中、超君がパプワ島の老人のような意見を穏やかに述べたのだった。「こんなに真面目になることはないんじゃないか。間違っているんじゃないか。」と。それは真面目ことがいけないと言っているわけではなかった。とても面白く考えたこともないような視点だったので一同大いに驚いた。私なんかは家に帰ってデンゼルワシントンとトムハンクスが出ている名作フィラデルフィアを見ている時に発言を頭の中で何周かさせて、確かにそうかもと胸の内でそっと思ったのだった。その日を境にナガイ君はドラムの叩き方が変わり、私は仮面を被って歌うようになった。こうした事をいくつもする中でバンド自体に空気の通り道がいくつも生まれて全体的に変わっていった。この時期から少しずつ知らない人に知られるようになっていた。



惑星タイタイ



運命は最初から決まっていたかのように自分の元にやってくる。自分に関する殆どの音を録ってくれているタイタイ君が仕事が忙しくなり過ぎて体調を崩している事は風の噂で聞いていた。自宅でぶっ倒れてそのまま失神したと聞いた時はとんでもない事になったと思った。そんな時にブラザーからタイタイ君と飲むから一緒にどうかと連絡が来たのだった。夜に新宿に集まった。久しぶりに会った彼はとても疲れていた。そして三人で色々な話をした。最終的にはタイタイ君がキーボードでバンドに入る事になって話は終わった。彼との出会いは中学生の頃だった。彼のやっていたOi Punk Bandの音源を聞いて偉く気に入ったので、兄にライブへ連れて行って貰ったのだ。ライブはバンドが無茶苦茶酔っぱらって演奏をしていた為どの曲がどの曲か分からないくらい、訳が分からなくなっていた。何か凄い危険な事が起こっていると意味も分からず放心して見ていた記憶がある。演奏後そこでベースを弾き歌っていたタイタイ君と初めて話したのだけど、重度の人見知りだった自分に実に優しくしてくれた。その頃から随分と経つが印象が全く変わらない。ずっと独特で格好いいなぁと彼が何かやる度に思っていた。新宿の店にて自分たちのバンドはかなり雰囲気が緩いから入らないかいと聞いた時にタイタイ君がやる、嬉しい!と即答した。頭の中に光が射したようになった。人生は何が起こるか分からないけど、これは必然というか運命だったのかもとその時にぼんやりと思った。きっかけを作ったブラザー(タイタイ君を心配する様子が落ち着きのないお父さんのようで胸を打たれた)も嬉しそうにしていた。こうして六人目のメンバー、惑星タイタイが入ったのだった。2019年11月24日に吉祥寺DAYDREAM。Teenage Slang Sessionのジン君との共同企画『ありがとう』にてライブデビュー予定。



ぼくらの録音大戦争



録音を始めてから長い時間が過ぎた。録ってくれている惑星タイタイがメンバーになる前からだから、もう随分になる。やる度に良い方向へ行くので止められなかった(好い色のサングリア)。1年半くらいやり続けていた様に思う。それぞれの曲に新しいものを足していく作業はとても楽しかった。目の前で曲が良くなっていくのは嬉しい(もう眩しいとしか言えない)。多分やれって言われればずっと出来た。それぐらい楽しかった。最後は皆で話し合い、いい頃合だから出そうとなった。アルバムの題名は『いつかはれたひに』とした。生活の一部を表しているような記号めいた骨格めいた言の葉。誰かが時間が経った時にあぁそういうことかなんてどこかで思ってくれたら嬉しい(気に入ったら飲みたいだけ飲めばいい)。コロナの騒ぎでパニック状態のこの中でひっそりと出すことになるだろう。メンバーそれぞれが本当によくやってくれた。結果なんて実はあってないような広い海のようなものだと思っているから、もうそれで十分なのでした。



特別なふたりについて



その人が楽器を奏でた瞬間に風景が浮かびあがり、ふわふわゆっくりと近くに流れてくる。そして、いつの間にか肩まで浸かっている事に気づく。休日に響くような音、晴れた日の森や川の空気、リラックスして日蔭で眠る人、鳥が好きでよく飛んでいく古びれて感じのいい街等々、、、音に身体をまかせていると次々と頭に浮かび上がる。永遠に大丈夫なんじゃないかと思えるような感覚。しいねはるかさんのピアノと、ほいさーさんのスティールパンにはそんな事思わせるような共通した何かがある。

知り合いではなかったふたりに声を掛けて、一緒にアルバムの最後の曲『負けない人』に音を付けてもらった。元々、それぞれに人柄の良いふたり。うちとけるのは瞬間で出来上がるのも早かった。最終的にはそれはそれは素敵な曲になっていた。

そして、時が流れてアルバムが完成した。完成品を見た時に見落としに気づく。CDのブックレットに彼女たちの名前が載っていなかったのだ…。分かった時に時間が数秒止まった。心の声を再現するならば「ひ〜」である。。。だから、ここで改めて手伝ってくれたふたりを紹介します。手を差し伸べてくれてしっかり助けてくれた特別なふたりです。改めて感謝。

しいねはるかさん…普段はGORO GOLOというバンドにて電子ピアノを弾いている。その傍らでひとりでの弾き語りや、時々エマーソン北村さんとふたり編成でやっている時もある。どの形態も素晴らしい。知り合ってからもう随分と長い。どこか心地の良い落ち着いた音とメロディを持っている人。沢山の作品を作っている。
https://shiineharuka.wixsite.com/home

ほいさーさん…スティールパンを叩く。herpiano(静岡の好きなバンド)のまりぷーのソロ活動にサポートメンバーとして入っていて、ふたりで演奏している時に初めて見た。繊細だけど瑞々しい音の選び方をする。日常で生きていてふっときれいな音を聞く時がある。それにとても近いものが鳴らされているように感じた。知られていない天才のひとり。普段は神楽坂のライブハウス、神楽音にて企画をしたりしている。
https://kagurane.com/



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